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アスペルガーとアイデンティティ

効果のあるアスペルガー改善法がわかってすっかり嬉しくなった私。
このときもまた、周りの人に話しまくった。

それはただ単に嬉しかったからというだけでなく、
周囲にも多少なりともアスペルガー的な傾向が見られる人が多く、
その人たちにもローカーボは効果があるのではないかと思ったから。

まあ、直接的にずばりと「あなたもアスペルガーっぽいよね」ということは
さすがにできないので、
自分のことを話してから、相手が興味をもったときにだけ、
指摘してみることにした。
吉濱ツトムさんの2冊目の本『アスペルガーという才能』は
グレーゾーンのアスペルガーを対象とした本なので、
こちらの方が自分のこととして受け止めやすいかと思い、
何人かに配ったりもした。

ところが、自分の問題として自覚して取り組もうとすることは
なかなか難しいらしく、
「私もそうかもね、あはは」で終わってしまうか、
ローカーボには多少興味はもつものの、
自分のアスペルガー的傾向から目を背けたい、
というのが大半の反応だった。

「私に勝手にレッテルを貼るな」といって本を突き返されたこともあったし、
納得はしたものの、自分の問題点を自覚して改善しようというよりは、
自分の人生が上手くいかないことの
新たな言い訳アイテムにしただけの人もいた。
発達障害についてよく理解していないうちから
発達障害であることを売りものにしようとする人もいた。

どうもやはり、「障害」という言葉に引っかかるらしい。

私は診断当時、一人暮らしの身体障害者の介護の仕事をやっていたので、
いわゆる障害者という人たちがどういう人たちなのか身近に知っていた。
憐れむべき存在でもなければ、特別に清らかな存在でもない。
ごくごく普通に感じ、悩み、結構したたかに生きている。
大変そうではあるけれど、可哀想ではない。そう知っていた。
だから、自分に発達障害があると知ったときも、
それによって自分が劣っている存在だとは思わなかった。

介護の仕事を辞めるときに、私よりだいぶ年上のコーディネーターに
その話をしたら、「私も自分が障害者の立場になったとしても
すんなり受け入れられるかも」と言ってくれた。

その後、ずいぶん経って、その事業所のある男性職員から電話があった。
私が発達障害であることを聞いたらしく、
新しく求人をした際に来た人がどうもそれらしいと思い、
私に話を聞こうと思ったということだった。

診断経緯をざっと説明したら、「わー、それはショック」
という答えが返ってきた。
何をもってショックだったのかは明らかではないけれど、
その言葉を聞いた私の方がショックだった。
普段毎日、障害者に接している人間であっても、
自分が上に立って面倒を看ている分にはいいけれど、
自分や身近な人間が突然障害者となるのはショックらしい。
まあ、人間そんなものなのかもしれない。

発達障害を改善するには、発達障害があることを自覚しないと始まらない。
そんなことをしなくても、何とか生きている人たちは
いっぱいいるのだろうけれど、
それは周りがありのままを受け止めてくれる恵まれた人。
そうでなければ、苦しみながら生きていかなければならない。
その過程で、この世からいなくなってしまう人たちも多々いる。

そんなことを考えていたある日、
Very late diagnosis of Asperger Syndrome』という本を読んで
人が自分の発達障害を認めたがらないことの一因がよくわかった。
アイデンティティの問題だったのだ。

(続く)